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裏門櫓
大分県速見郡日出町2612番1(二の丸館敷地内)
裏門櫓は、日出城本丸東の搦手(裏門)を守るために築かれた櫓です。日出藩が幕府に提出した『豊後国日出城絵図(正保城絵図)』で、絵図には裏門櫓が三間×二間の平櫓として描かれています。 明治4年(1871)、廃藩置県により日出藩が廃止されると、旧日出城内の天守や櫓は競売に付せられ、次々と取り壊されていきました。裏門櫓は明治8年(1875)、徳永家によって買い取られ、同家敷地内(二の丸)に移築されました。 平成12年(2000)、日出町教育委員会が裏門櫓を譲り受け、解体・保存し、平成21年(2009)6月より翌年3月にかけて復元工事を実施しました。裏門櫓は、江戸時代の日出城を知る上で貴重な文化財建造物です。 令和4年(2022)、櫓の内部をコワーキングスペースとして活用するためにリノベーションしました。ワーケーション目的で訪れた来訪者をはじめ、ビジネス利用の方、地域住民の方々の文化サロン的な役割も兼ね備えた新たな交流拠点を目指しております。
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裏門櫓は、日出城本丸東の搦手(裏門)を守るために築かれた櫓です。日出藩が幕府に提出した『豊後国日出城絵図(正保城絵図)』で、絵図には裏門櫓が三間×二間の平櫓として描かれています。
明治4年(1871)、廃藩置県により日出藩が廃止されると、旧日出城内の天守や櫓は競売に付せられ、次々と取り壊されていきました。裏門櫓は明治8年(1875)、徳永家によって買い取られ、同家敷地内(二の丸)に移築されました。
平成12年(2000)、日出町教育委員会が裏門櫓を譲り受け、解体・保存し、平成21年(2009)6月より翌年3月にかけて復元工事を実施しました。裏門櫓は、江戸時代の日出城を知る上で貴重な文化財建造物です。
令和4年(2022)、櫓の内部をコワーキングスペースとして活用するためにリノベーションしました。ワーケーション目的で訪れた来訪者をはじめ、ビジネス利用の方、地域住民の方々の文化サロン的な役割も兼ね備えた新たな交流拠点を目指しております。