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ホーム > スポットを探す > 日出殉教公園・日出藩成敗場跡地
日出殉教公園
日出藩成敗場跡地
大分県速見郡日出町豊岡5993‐7
日出藩成敗場跡地は、旧日出藩時代の罪人処刑場跡地で、供養塔が建てられている史跡。供養塔は11代藩主・木下俊懋が松屋寺住職大蓮和尚に命じて寛政11年(1799)に建立したものといわれます。 元和10年(1619)、家老職であったキリシタンの加賀山半左衛門が初代藩主・木下延俊より棄教を命ぜられたが、それに従わずこの地にて殉教し、その息子ディエゴ(当時5歳)も父を追ってこの地で殉教しました。 平成19年10月、加賀山半左衛門親子が福者に列せられたことを記念し、この成敗場跡地に隣接して『日出殉教公園』がカトリック大分教区により建設されました。
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日出藩成敗場跡地は、旧日出藩時代の罪人処刑場跡地で、供養塔が建てられている史跡。供養塔は11代藩主・木下俊懋が松屋寺住職大蓮和尚に命じて寛政11年(1799)に建立したものといわれます。
元和10年(1619)、家老職であったキリシタンの加賀山半左衛門が初代藩主・木下延俊より棄教を命ぜられたが、それに従わずこの地にて殉教し、その息子ディエゴ(当時5歳)も父を追ってこの地で殉教しました。
平成19年10月、加賀山半左衛門親子が福者に列せられたことを記念し、この成敗場跡地に隣接して『日出殉教公園』がカトリック大分教区により建設されました。