西崦精舎跡

【帆足萬里が開いた私塾跡】

 西崦精舎は、豊後三賢の1人で日出町を代表する碩学・帆足萬里が天保13年(1842)に開いた私塾です。塾生が多い時は130人余りいたといわれています。

 塾があった場所には現在は記念碑が建てられており、これは明治時代に地元の人々が萬里を讃えて建立したものです。記念碑には「帆足萬里先生西崦遺蹟」と記されています。記念碑の脇には、南端村長(当時)をはじめ、記念碑建立にかかわった人の名を記した石碑もあります。

人間魚雷「回天」大神訓練基地跡

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 かつて特攻兵器の訓練基地があった場所

 人間魚雷「回天」は大東亜戦争(太平洋戦争)末期、日本の敗戦が濃くなる中、海軍によって考案され、昭和19年(1944)に山口県の大津島に最初に回天基地が設けられました。戦局の悪化とともに回天は決戦兵器としての役割が期待され、乗員の確保が急務となります。そのような状況下で、昭和20年(1945)に大神訓練基地が造られ、4月25日に「大神突撃隊」が開隊しました。

的山荘

 金山王が建てた豪華な邸宅

 的山荘(てきざんそう)は、馬上金山(現・杵築市山香町)の採掘で巨額の富を築いた成清博愛(なりきよひろえ)が築いた旧邸宅で、別府湾を一望する広大な敷地に近代和風建築の粋を凝らした豪華な家屋、そして別府湾や高崎山を借景とした見事な庭園が広がります。大正3年3月に着工、大正4年1月に落成し、総工費は25万円(現在の価値でおよそ7~8億円)と記録されています。

襟江亭

【日本で唯一現存する殿様の風待ち茶屋】

 大神の深江港には、その名の通り深くて大きな入り江があり、平安時代から天然の良港として栄えてきました。江戸時代には参勤交代の船がここから出港していましたが、当時は帆船であったため航海に適した風や潮を待つ必要がありました。寛文7年(1667)に日出藩三代藩主・木下俊長が風待ちや潮待ちのための宿泊休憩施設を深江港に建て『襟江亭(きんこうてい)』と名づけたといわれます。

安養寺古墳

【横穴式石室を持つ古墳】

 主体部に横穴式石室を持つ6世紀後半の古墳で、藤原・大神地域の有力者のものと推定されています。明治17年(1884)に付近の子供が塚の上で遊んでいるときに発見し、それ以来地区の人々により地蔵尊などが安置され、通称『穴観音』または『穴様』と呼ばれています。

 古墳には大樹がそびえ、とても神秘的な雰囲気を醸し出しています。日出町の「パワースポット」といえるかもしれません。

赤松橋

赤松橋

【美しい姿の2連アーチ橋】

 明治30年9月に完成した日出町で唯一の石拱橋。通称『赤松のめがね橋』と呼び親しまれています。のどかな山々の景色を背景に美しい姿を川面に映し出す光景は、どこか懐かしさを感じさせられます。