龍泉寺(瀧廉太郎の墓)

【瀧廉太郎とその先祖が眠る墓】

 「荒城の月」を作曲した日本の代表的な音楽家・瀧廉太郎。その祖先である瀧家は、代々日出藩の家老などの要職にあった家柄でした。瀧家の菩提寺は数多くの日出藩士が眠る龍泉寺(りゅうせんじ)であり、瀧家および瀧廉太郎の墓が残っています。龍泉寺には廉太郎がドイツ留学時に愛用していた火鉢が残っており、また三の丸には廉太郎の父の生家跡があります。

松屋寺

松屋寺

■日出藩木下家の菩提寺

 松屋寺は、前身を西明寺といい、日出藩初代藩主・木下延俊(のぶとし)が慶長12年(1607)に、祖母の朝日の方(豊臣秀吉の正室・高台院の母)と妻の加賀の法名から「康徳山松屋寺」と改称しました。

 境内には、木下家墓所・日本一の大蘇鉄(ソテツ)・秘宝殿などがあり、雪舟の造園であるといわれている庭園もあります。

致道館

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【大分県に残存する唯一の藩校・大分県史跡】

 安政5年(1858)、15代藩主木下俊程侯の命により日出城二の丸に開校した藩校。木造2階建て、門を含め家屋全体が旧態のまま残されており、現存する県下唯一の藩校です。開校当時の通達によると学問を修めるだけでなく、礼節、道徳を尊重する人間づくりが行われていました。また、16代俊愿侯のとき、算術、兵学、洋学(オランダ語)の三科も加えられました。

裏門櫓

裏門櫓

【かつて日出城本丸東の搦手に位置した櫓】

 裏門櫓は、日出城本丸東の搦手(裏門)を守るために築かれた櫓です。日出藩が幕府に提出した『豊後国日出城絵図(正保城絵図)』で、絵図には裏門櫓が三間×二間の平櫓として描かれています。

 明治4年(1871)、廃藩置県により日出藩が廃止されると、旧日出城内の天守や櫓は競売に付せられ、次々と取り壊されていきました。裏門櫓は明治8年(1875)、徳永家によって買い取られ、同家敷地内(二の丸)に移築されました。

城下公園

【日出城下に広がる別府湾を一望する公園】 

  本丸下の海岸は通称「城下海岸」と呼ばれ、有名な「城下かれい」の名の由来となっています。公園内には約100本の桜が植えられており、春になると多くのお花見客で賑わいます。前方に高崎山を望む別府湾の眺望は絶景で、大分県百景や別府八景にも選ばれています。

 また、歌人・高浜虚子の「海中に真清水湧きて魚育つ」の句碑もここにあります。前方に高崎山を望む別府湾の眺望は絶景で、別府八景、大分百景の一つに数えられています。

日出若宮八幡神社

日出若宮八幡神社

■代々日出藩主に崇敬された由緒ある神社

 日出若宮八幡神社は、千年以上の歴史をもつ日出町でも由緒ある神社です。天徳3年(959)、八津島宮より2親を勧請して建立されました。建久7年(1196)、豊後大友氏の始祖・大友能直(よしなお)が、豊後国7社の1社として崇敬し、新たに社殿を築造し社領を寄進しました。