日出藩木下氏

■九州に残された豊臣の一族・日出藩木下氏

 日出藩の藩祖は木下延俊(のぶとし)で、豊臣秀吉の正室・高台院(北政所、おね、ねね)の兄である木下家定の子でした(秀吉からみると義理の甥にあたる)。延俊の家系はもともとは杉原氏を名乗っていましたが、高台院の実家にあたることから、血縁の少なかった秀吉に重用され、豊臣姓である木下氏を名乗るようになりました。

日出町歴史資料館・帆足萬里記念館

歴史資料館2

 古代~近代までの資料が展示されている歴史資料館

 日出町の旧萬里図書館跡地に「日出町歴史資料館」がオープンしました。同館内には「帆足萬里記念館」を併設しており、町の偉人・帆足萬里(ほあしばんり)に関する資料をはじめとする多くの歴史資料が収蔵・展示されており、日出町の歴史をより深く知ることができます。

 帆足萬里(1778~1852)は、国東の三浦梅園、日田の廣瀬淡窓とあわせて「豊後の三賢」と称され、江戸時代後期に儒学者・政治家として大いに手腕をふるった偉人です。萬里は多くの門下生を持ち、優秀な人材を育てたことから、日出町の文教のシンボル的存在でもあります。

日出城址

日出城址

 日出藩主のかつての居城跡

 関ヶ原の戦いでの功績により、豊後国日出3万石に封じられた日出藩初代藩主・木下延俊(のぶとし)は、慶長6年(1601年)、入国後ただちに築城に取りかかり、翌年の慶長7年(1602年)8月には大方の普請ができ入城しました。

 城の縄張り(設計)は義兄・細川忠興(延俊の正室・加賀の兄で、細川ガラシャの夫、後の豊前小倉藩・初代藩主)が行い、石垣の構築は家臣で築城の名手・穴生理右衛門(あのうりえもん)が野面積みで築き、木材は鹿鳴越の木材を用いたといわれます。

的山荘

 金山王が建てた豪華な邸宅

 的山荘(てきざんそう)は、馬上金山(現・杵築市山香町)の採掘で巨額の富を築いた成清博愛(なりきよひろえ)が築いた旧邸宅で、別府湾を一望する広大な敷地に近代和風建築の粋を凝らした豪華な家屋、そして別府湾や高崎山を借景とした見事な庭園が広がります。大正3年3月に着工、大正4年1月に落成し、総工費は25万円(現在の価値でおよそ7~8億円)と記録されています。

二の丸館

 日出城址周辺の観光交流拠点

  歴史的要素が残る日出城址周辺は、別府湾を一望できる景色の素晴らしい日出町の代表的観光スポットです。

 そのような日出城址周辺の観光交流拠点として、平成22年に『二の丸館』が完成しました。子どもからお年寄りまで幅広い年齢層の方々を対象に、日出町の観光散策をする上で、とても便利な施設になっています。

鬼門櫓

隅を欠いた鬼門櫓

 全国でも稀な北東隅を欠く櫓

 日出城の中でも特異な外観を持っていたのが、本丸の北東側に位置していたこの櫓。鬼門(北東)の方角の隅を欠いているのが大きな特徴です。

 これは鬼門の隅を無くしてしまうことで、鬼門の方角から禍が侵入するのを封じ込めるために施されたものと考えられます。日出城に建っていた頃は下の石垣まで隅を欠いていたといわれています。